本書は、1962年から65年にかけて刊行され40年以上にわたって読み継がれてきた渡辺信夫訳『キリスト教綱要』I、IIの改訳版。
1980年代から20年近く費やした、渡辺牧師の精魂込めた改訳作業です。旧訳を全面的に見直し、いっそうの正確さと理解しやすさを追究。特に朗読奉仕者たちの意見を採り入れた結果、分かりやすい日本語となりました。文字も大きくし、読みやすい組み体裁を実現。
プロテスタント最初の組織神学と呼ばれる必読の古典が、40年ぶりの改訳により驚くほど明快・流麗な文体で蘇ります。
本巻は神論とキリスト論を主題とする。
【目次より】
凡 例
ジャン・カルヴァンより読者の皆さんへ
本書の梗概 フランス王への献呈の辞
第1篇
創造者なる神の認識について
第1章 神認識と自己認識は結び合った事柄である。それらはどのように相互に関連しているか。
第2章 神を認識するとはどういうことか。そして神認識はいかなる目的を目指すのか。
第3章 神についての知識は、人間の精神の内に生来入れられている。
第4章 この知識は一部分無知により、一部分悪意によって、あるいは揉み消され、あるいは腐敗させられている。
第5章 神についての知識はこの世界の創造とその不断の統治とによって明らかにされる。
第6章 創造主なる神に達するためには、聖書が我々の導き手また教師となることが必要である。
第7章 聖書の権威が確信されるために、いかなる証しによって保証されねばならないか。その証しは聖霊である。そして、聖書の信憑性が教会の判定に依存しているというのは不敬虔なつくりごとである。
第8章 聖書の信憑性は人間理性の達し得る限度内で十分確かな証明が為される。
第9章 聖書を却け、直接的啓示に走る狂信者は、全ての敬虔の原理を転倒させている。
第10章 聖書は一切の迷信を矯正するために真の神ひとりを独占的に立て、異教徒の神々に対置させている。
第11章 目に見える形を神に帰することは許すべからざる悪であり、またいかなる偶像であれこれを己のために立てる者は、総じて真の神に背くのである。
第12章 ただ神のみが全き礼拝を受けたもうため、神は偶像と峻別される。
第13章 聖書においては、神の本質が唯一であって、それが三つの位格をうちに含むと、創造のとき以来教えられている。
第14章 聖書は世界と一切の事物の創造そのものにおいて、真実の神と虚構の神とを確かな徴によって区別する。
第15章 人間はどのように創造されたか。ここでは魂の諸機能、神の形、自由意志、最初の本性の完全が論じられる。
第16章 神は自らの造った世界を御力によって育み、見守り、その一つ一つの部分を摂理によって導きたもう。
第17章 この教理が我々に益となるためには、どのように、またどういう目標に向けられるべきか。
第18章 主は不敬虔な者の業を用い、また彼らの心を御自身の裁きの執行に向けさせ、御自らは一切の汚れから純潔に留まりたもう。
第2篇
キリストにおける贖い主なる神の認識。この認識は最初、律法の下で父祖たちに啓示され、次に、福音において我々に啓示された。
第1章 アダムの堕落と背反によって全人類は呪いを被り、初めの地位から落ちた。ここで原罪が取り上げられる。
第2章 人間は今や自由意志を奪われ、悲惨な奴隷の位置に置かれた。
第3章 人間の腐敗した本性からは罪とされるべきものの他は何一つとして生じない。
第4章 神はどのようにして人間の心の内に働きたもうか。
第5章 自由意志の弁護のために持ち出されるのを常とする反論を論駁する。
第6章 滅びの内にある人間はキリストの内に贖いを求めなければならない。
第7章 律法が与えられたのは旧約の民を律法それ自身に繋ぎ留めておくためではなく、キリストにおける救いの希望を育てて、彼の来臨に到るためであった。
第8章 道徳的律法の解説。
第9章 キリストは律法の下ではユダヤ人に知られていたが、福音によって遂に差し出されたもうた。
第10章 旧約と新約の類似について。
第11章 旧約と新約の相違について。
第12章 キリストは仲保者の務めを果たすために人となるべきであった。
第13章 キリストは人間のまことの肉の実質を受けたもうた。
第14章 どのようにして二つの本性が仲保者の位格を成立させるか。
第15章 キリストが御父から遣わされたのは何のためか、そして何を我々に齎したもうたかを知るために、彼に三つの務め、すなわち預言者職、王職、祭司職があることを知るべきである。
第16章 キリストは我々の救いを獲得するために、どのような方法で贖い主の務めを全うしたもうたか。ここで彼の死、復活、そして昇天について論じられる。
第17章 キリストがその功績によって我々のために神の恵みと救い